屋根裏部屋
オーディオを趣味にしていると特に屋根裏部屋は重要。ツーバイフォー工法などだと、極めて広大な屋根裏部屋をとることができる。オーディオ機器の元箱をとっておく場所として屋根裏部屋は理想的だ。居住階の納戸部屋にはスペースがもったいなくて入れられない。今度の家は陸屋根なので屋根裏部屋がない。なんとかなるかなと思ったものの、実はなんともならない。教訓。
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オーディオを趣味にしていると特に屋根裏部屋は重要。ツーバイフォー工法などだと、極めて広大な屋根裏部屋をとることができる。オーディオ機器の元箱をとっておく場所として屋根裏部屋は理想的だ。居住階の納戸部屋にはスペースがもったいなくて入れられない。今度の家は陸屋根なので屋根裏部屋がない。なんとかなるかなと思ったものの、実はなんともならない。教訓。
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こどもをECC検定に連れて行ったついでに無印良品に寄る。新居の収納ツールが必要なので、まじめにみてみた。
ソファの座り心地がいいのにびっくり。ポケットコイル、ウレタン、羽根などを巧妙に組み合わせてある。フレームにもウェービングテープとS字ばねでちゃんとした支えがしてある。大人の男性がどかっと座っても底付きしない。体重もよく分散される。ワイドでないほうの商品名「ソファ」が優れている。これで2.5人掛けで三万六千円くらいとはすごい。張り地が無印良品ぽいので、張り地を替えればバレないかも知れない。
クッションでできたソファ、フロアソファ、体にフィットするソファの三つは日本人のDNAに仕込まれた床生活への憧れを呼び覚まさずにおかない。特に体にフィットするソファ。これほど座り心地のよい物体は他にないのではないか。腰に体重をかけ、望むリクライニング角で体重をかければしっくりとフィットする。欲しい。
それにしても無印良品製品の個性は強烈だ。家のなかにここの製品が一つでも置いてあると非常に目立つ。収納の小物にすら無駄を嫌った意志が投影されている。デザインが機能を支配し企業姿勢までも統制している点では、日本随一のデザインコンシャスな会社だ。家電製品も見事なデザイン。なかなか実際に買わないのは、その強すぎる主張に引いてしまうからだろう。カタログは素晴らしい。知的刺激に満ちたカタログだ。
忘れないうちに自宅作りから感じたことを記録しておこう。二度目はあるかどうか分からないけど。
土地購入
旗ざお敷地などお得物件は通路の幅など使い勝手にこだわること。家人が交渉して50センチ通路を広げてくれたが、そうしなかったら一生不便をかこつことになったところだ。
周囲の違法建築を徹底してチェックすること。建築法規や風致地区指定は変化していく。旧法にて適法だった建造物は、新法になったからといって取り壊しは強制できない。隣家が建て直す待つしかないが、それはあなたが死ぬまでには起こらないかも知れない。不動産業者は「もう全部建て替え時期ですから気にしないで」と言うものだ。旧法時代の建物は構造的にも弱く、こちらの建築作業の結果、ひびが入ったりする恐れもある。
同じ地域でも駅からの距離、丘の上か下か、川のこちらか向こうか、などによって地価は数倍にもなる。単純なトレードオフが基本になっている。自分の妥協点を冷静に分析しよう。
業者選び
ハウスメーカーか建築家か。ほとんどのハウスメーカーが建築士を契約して完全注文住宅を謳っている。だが彼らは平面図と矩形図しか書かない。あとはメーカーの標準にのせて細かい図面を作る。メーカーにはそれぞれ、梁の長さや天井の高さなどに厳密な規格と制約があって、そこから逸脱した設計は不可能だ。だから完全注文住宅では全くない。(あたりまえだけど。僕は最初分からなかった。)こっそり聞いて見ると設計士の設計料取り分もわずかだ。設計士のセンスはいいのだがメーカーの制約がいやだ、となってもその設計士と直接契約することはできない。彼らはそれをやるとメーカーから仕事をもらえなくなってしまうから。そして途中で設計士を変えたところで、メーカーが同じならそのメーカーっぽさは消えない。
メーカーに頼むということは、同じテイストの家が数十、数百とあるということだ。ユニークなものは作れない。だからモデルハウスのテイストそのものが欲しい、というのが正しい買い方で、「これをベースにしてユニークなのを作ろう」と思って話し進めると待っているのは幻滅だけだ。僕の場合、一年半もハウスメーカー数社と検討を進めては中止を繰り返し、疲れて家作りを一時期放棄してしまった。知り合いのまた知り合いの設計士を紹介してもらって再開し、結局設計士と直接、設計監理の契約をして建てることになった。ユニークさにこだわる人には設計士しかない。建物の雰囲気を決めているのは実は構造である。建築士次第で構造自体を新しい方法で作ることもできる。コストはかけ方次第だ。制約がないので凝ってしまうと高くなる。
設計
建築士に頼むにしても、間取りについてだけは施主の希望をはっきりさせておくべきだ。施主は素人なので、しばしば建築士の提案のほうが優れている。なので口を出しすぎると良さが出ない。だが施主の希望の中には、譲るべきものと、譲るべきでないものがあって玉石混交なのだ。最初の提案が出てくる前に設計士と色々要望を話すわけだが、そこでどこまで具体的に言うかが決定的な分かれ目になる。
僕は、メーカーに対しては数十項目にわたる要望書を作成して渡していたが、設計士には詳しく話しはしたが紙までは渡さなかった。彼らの提案をまずはみたかったから。これが良くもあり、悪くもあった。悪かったのは部屋の大きさのイメージがずれてしまったことだ。
どの程度の広さを広いと感じるかは人によって全く違う。空間のつくりによっても違う。メーカーに対しては部屋の種類ごとに最低畳数まで指定していたのだが、建築士に対してもそれはするべきだった。延べ床面積は限られているので、そんな指定までしてしまうと建物の形は自ずと似通ってくる。だから設計士には「そこはフレキシブルに、広く感じる広さならいいです」という言い方をしたが、これは失敗だった。そのような言い方をすると、「部屋は狭いが視線が抜けていて吹き抜けているので広く感じる」という発想法で設計してしまうのである。コルビュジェのミニマムな小屋が、おそらくさほどには狭く感じないとしても、それはあの小屋の立つ場所が自然のど真ん中だからだろう。都心住宅の場合、壁とガラスで仕切られた空間は、たとえ四方がガラスで完全開放で天井が5メートルあっても広くは感じないのである。人間というものは、自由に動き回れて手足を伸ばせる縄張り空間を動物的に感知し、狭い、広いの基礎感覚が生じる。それに視線による効果がもっと抽象的な別の次元で上乗せされる。両者は交じり合わないし補い合いもしない。
「大きさももちろん大事なんだけど、まずその形だろうね。プラン(平面)の形。四角っぽい家のほうがいいね。(ひとつの部屋をとりだして考えたときも)正方形に近い形(がいい)。力学的に考えたって心理的に考えたって、曲がりくねった複雑な形よりただの正方形のほうが重心がとりやすいでしょう」「人間にとって居心地のいい広さってどのくらいなんだろうって考えてきたから、旅行したりすると広さを注意して見てきたんだけど、おもしろいもので、だいたい三間角、五メートル四、五十センチてところだったね」(「吉村順三住宅作法」)
全く同感である。前川國男の旧自邸の部屋は6メートル四方。菊竹清則のスカイハウスは7メートル四方だ。江戸東京建物博物館に前川國男旧自邸が移築されている。極めて心地よい空間である。不思議なことに、最初から三間正方形タイプの部屋を提案してくるメーカー、設計士は皆無であった。いまどきの設計者は吉村順三や前川國男は研究しないのだろうか。音楽の世界と同じで彼らは乗り越えるべき対象なのか。(ツーバイフォーの場合は二間半まででないと作りづらいらしい。だが二間半4.5メートル四方と三間5.5メートル四方はまったく印象が違う。完全に別物になってしまうのだ。)基本的な平面図は自分が書く、と宣言してしまいそれをベースに対話しながら形にしてくれる設計士を選ぶ、という手も大いにあると思う。(那須の青木別邸は傑作である。創建当時の増築前の建物は中央部分だけで入り口が南北逆だ。図面があったので写真に写してきたのだが、きっかり10メートル四方である。これをモデルにした図面を自分で書いたがやっぱり相手にされなかっ
た。)
予算
予算を途中で変動させない。収入や支出の水準が大きく変化しない人生ステージで、あるいは将来が予見可能な人生ステージで建てるのがよい(できれば)。計画途中で予算が増えても減ってもやり直しが必要なので、時間と労力を大いに無駄にしてしまう。減るほうがむしろ楽で、途中から増やすのが一番まずい。建物の基本的な構想はふくらますより、削るほうが簡単なのだ。こじれるとせっかくいい建築士に出会っていても、その貴重な出会いをフイにしてしまう。大きなやり直しはきかない。ボタンの掛け違いの修正はとても難しい。人間同士のやりとりなので、感情的にもわだかまりができてしまい、ポチっとリセットするわけにはいかないのだ。
オーディオルーム
趣味についても変動している時期にはできれば建てないほうがいい。オーディオを休止している時期に計画を開始したので最初に愚かにも「オーディオルームはそんなに本格的なのはいりません。きりがないから」などと宣言してしまった。ばかげている。後で書斎を膨らませてオーディオルームにしたのが心残り。十分な広さと奥行きがとれなかったのが悔やまれる。オーディオルームは個人住宅においては本当に”大物”なので、「オーディオルームのある家」くらい最初からテーマにして設計しないと失敗する。すべて余裕で別々に作れるようなアメリカの大邸宅じゃないから。家人の賛同を得るのも大変だし、オーディオに自由にひたれて、かつ家族と孤立しないプランというのは非常に難しい。防音の都合上、家全体のどの場所に作るかも悩ましい。
オーディオルームには応接間的か、ファミリールーム的か、書斎的かという性格付けの変数がある。。応接間もファミリールームも、リビングも、書斎もぜんぶあるアメリカ的大規模住宅でない限り、どこかで兼ねる必要があるし、兼ねていたほうが孤立もしない。だが、応接間、ファミリールーム、書斎の3つはそれぞれの要素が相容れない。オーディオルーム兼応接間、オーディオルーム兼ファミリールーム、オーディオルーム兼書斎にはそれぞれ長所、短所がある。長所部分だけを並べると、
①人(同好の士)を招いて楽しめる。
②家族と音楽を聴いたり映画を観てくつろげる。
③ひとりきりで時間を気にせず音楽にひたれる。
④読書やパソコン作業など書斎仕事をしながら音楽を聴ける。
⑤自分の書棚などプライベートなものが手の届くところにある。
⑥家族とお互いに気配を感じることができる。
⑦楽器を鳴らせる。
となる。相互に背反する要素がある。
①は欠かせない。あまりに個人的空間に客人を招くことはできない。
②については、子供が小さい場合オーディオルームにこれを求めないほうがよさそうだ。映画も自分が浸るのが主目的で、家族で観る場合はリビングシアターないしはファミリールームシアター(もどき)をメインに考えれば十分である。
③は欠かせない。④は僕の場合不可欠だ。音楽関係の書籍を読んでいるとオーディオを鳴らせないのはとても不便になる。
⑤は微妙だ。①と相反する。自室の書棚はすこぶる個人的な場所なので客人の目に触れさせるのはよろしくない。客人も目に入れたくないだろう。ただしこれは、書棚に扉をつければ解決する。書斎机をどうするかという問題がある。散らかっていては人を呼べない。これは部屋の中でゾーン的に区分けすることで解決できそうだ。理想的には、視聴位置のソファ後方に、スピーカーに向かって大型書斎デスクを置いてミキシングスタジオみたいに見渡す配置などが考えられるが、奥行きが8メートルくらい必要になる。今回それは無理なので、書斎デスクを壁に向けて置くことになるだろうが、ゾーニングをなんとかできないか。客人が来たときに片付けなくても机の散乱ぶりが直接見えないようにする。これは難しい。まあ、ライティングデスクかなあ。使ったことは無いが、机の上のものを奥に寄せて跳ね上げてしまえばよいのではと思われる。
⑥は大変重要だと思う。僕が今回地下室にしなかった理由はこれである。自分だけ地下室に降りていけば完全に孤立する。子供が家にいる間それは避けたい。防音上は大変無理をし、かつ不十分となるリスクをとって地下室はやめにして、大面積のガラス越しに家の様子が多少は伺えるようにした。
⑦はピアノを置くことを意味する。広さの面で非常に大きな圧迫要素となるが仕方ない。
結局、応接要素と書斎要素をどの程度ブレンドするか、という問題に集約される。今回はリビングは別途とり、応接要素はオーディオ趣味の人が来たときだけの想定とし、書斎に軸足を置いたものとなった。書斎6、応接4といった配合だ。まあ、少人数ならお招きできる。この逆の配合もあり得るだろうが、子供の居場所を考えるとリビング兼オーディオルームは無理がある。
そしてオーディオルームと取り合いになるのは和室スペースである。家の総床面積が限られている中で、押入れを含めてかなりの場所をとる和室は”大敵”である。日当たりの悪い鬼門の方角などに和室をしつらえるのは無理なのでポジションもいい場所が取られてしまう。だが年老いた親を持ち和服を趣味とする妻を持ち、子沢山の親戚がいる身として、和室を作らないという選択肢は選べない。自分だって気が向けばお茶を飲んだりするし掛け軸とかのモノも収集したい(興味の対象となるモノ分野は多けりゃ多いほど楽しい)。今回も和室とのポジション争奪にオーディオルームは敗北した。ファミリールームにも負けた。まあ、家族あっての趣味だから仕方ない。
雑誌に出ているような綺麗に仕上げたシアタールームはまったく想定しなかった(峰松さんのホームシアターのご本は非常に素晴らしく、参考になるが)。フラッシュサーフェースで綺麗にセットすることより、ちゃんとしたオーディオラック、最短距離のスピーカー配線、など機器類むき出しはほぼ前提である。アンプは眺めてなんぼ。シアターはおまけだ。このへんで人種がオーディオ系とシアター系に分かれる。
ふつうの建築設計士というものは両者を混同していると思ってほぼ間違いない。その認識ギャップは部屋の奥行き設定に現れる。シアター的には壁埋め込みスピーカーがなんとなく想定されているので、ふかした壁でちょっとタイト目なスペースになりやすい。スピーカー前面がどうして後ろの壁から1メートル以上も離れている必要があるのか彼らにはまるで理解できない。座る位置は壁から3メートルも離せば十分だろうなんて思ってしまうのだ。
大型メインアンプが床に鎮座し、やたらと奥行きのある後ろバスレフのスピーカーが部屋の真ん中に迫る勢いで屹立する絵は彼らのイメージにはない。多少心得ている人でも、イメージしているのはJBLのモニタースピーカーとかタンノイである。つまり壁にぴったりつけて間に壁造り付けのシステムラックがある70年代くらいの絵柄なのである。現代オーディオは実物をみて音を聴かないと分からない。図面を書いて送ってもピンとこないから「何いってんのかな?」という感じなのである。
僕の場合、設計士さんを秋葉原に連れて行き、ダイナミックオーディオの7階から1階まで連れて歩いてようやく事の重大性(奥行きは実効寸法プラス1.5メートル必要、スピーカーの左右にもゆったり空きが必要という事実)を理解してもらったのである。オーディオの啓蒙はダイナさんに連れて行くのが一番効果的だ。これを最初からやっておけば回り道を避けることができた。
工作室
工作室は惑いやすいポイントの一つだ。工作好きは場所がなくても工作をする。これはやめられない。問題はいかに家族に迷惑をかけず、店をしまわずにすむ工夫ができるか、である。店はいつも広げられており、思い立ったらすぐ工作、ご飯の時間になっても片付けなくて良い、という生活を実現したい。そうでないと工作モードの時期、とそうでない時期ができてしまうのである。
計画初期段階では、オーディオルームと工作室も兼ねるという無理な想定をしていてプランがぐちゃぐちゃになった。家人としては僕の場所はどっかにまとめて治外法権、不干渉にしたい意向だったのだ。だが工作は粉塵や汚れを発生するからオーディオルームを兼ねるのはもとより無理だ。最初は土間すら作ろうとしていた。趣味休止中に計画していたので実感が伴っていなかったのだ。結局工作はファミリールームを入居後に部分占拠する作戦。
アート
アートは建築プランに影響する。絵を飾るのは楽しいが、そのためには壁面が必要だ。鉄骨構造などにすると構造体としての壁面の必要性が減るので、気が付くと壁面が非常に少なくなっていたりする。窓を大きくしていっても同じことだ。造り付け収納も同様。陰影、明暗のコントラストは大事だけれど明るさは確かに快適さにつながるのも事実だ。意識して大壁面を残さないとアートのための場所がなくなってしまう。テレビを見る場所と同様に、アートを飾り眺める場所を想定しておくことは非常に重要だ。彫刻を置くためにはちょっとしたへこみ空間がないと座りが悪い。そんな場所も意識して用意しておくべきだ。絵は決して高くない。100万円前後あれば一つか二つは絵をかけておける。いつもそれくらいの金額を絵という形で貯金していると思えばいい。目が確かなら値段も下がらない。
アートを買った唯一の経験はピカソが79歳で最後の結婚をしてからの最晩年の版画157シリーズだ。裸婦を老画家が描いている絵ばかりのシリーズ。バブル期、25年前に新入社員のころに買った。別に絵が分かっていたわけではない。本物を買え、と美術関係の先輩に薦められていた。バブル期での一儲けをたくらむ不動産業者出身のギャラリーが氾濫していた時期に、「あのピカソが僕にも買える!」と興奮してつい買ってしまったという情けない買い方である。飽きない絵ではあるけど。
これからは有名な画家の作品など買わない。ようやく美術館が買い上げ始めたころの画家の作品なら、大きな油絵でもばかげた金額にはなっていない。
みなとみらいに遊びに行く。出口渋滞でぶつぶつ言いながらリーフビルに到着。大型車は優先して広い場所に停めてくれて気分がいい。普通の小型車は地下立体に停めさせられるのだから随分な違いだ。大型車に乗っているというだけで優遇されたのはこれが始めてだ。
リーフビルのおめあてはボーネルンド。ねだったのは次男だ。でも来たのは数年前だったから今いってみると小さい子たちばかりということに気付く。そこでロビーのロッククライミングに三兄弟で挑戦。なかなかいい気分転換になった。カフェデュモンドのベニエは相変わらず美味しい。ついでに大塚家具に行く。
5年前にイタリア製の大型ソファを買ったが、でかすぎで家人が座ってくれず(寝転がってはいるが)失敗したので家人のサイズに合うソファを探す。いろいろ実際に座ってみることによって、身長160センチの女性が腰を深く座ってくつろげるサイズはソファ奥行き80センチ、座面40センチが基準値であるという、昨夜立てた仮説を検証した。いわゆる日本サイズ。アル
フレックスのAソファミディアムもぴったりこれ。だがこのプロポーションで美しく見せるのは極めて難しい。ベンチっぽく、あるいは小ぶりのラフソファになってしまう。
日本製や日本向けはやはり座り心地は一番いいようだ。だがデザインで許せるのが全くない。見事にダメデザインの急所を突くところがスキルフルだ。共通項を抽出したダメデザイン要素の研究はないのだろうか。日本は真似をせずにわが道をゆくべし。天童木工のとかは独特の良さがあると思うが不滅のデザインとはいかなかった。技術と作りは最高なのに勿体無いことだ。デザイン軽視だとものづくりの世界では非常に勿体無いことが起きてしまうのだ。長大作など日本の家具作家で、そういえばソファを作っている人は少ない。チェアには名作が沢山あるのになぜソファがないのだろうか。ナカシマにしても名作のベンチはあるが、ソファはない。
20センチ背が高い僕が座っても深く快適に座れて、サイズを超越した心地よさだったのがフィン・ユールのポエトソファである。さすがは名作だ。ペリカンソファも実によい。座面と背もたれに特徴がある。
アメリカ製クラシック家具のポケットコイルスプリングのソファは好きだ。座るとクッションが半分くらい沈んで実に気持ちいい。重い体重をばねの反発力で浮かしてもらっている有り難味がある。ウレタンフォームや羽根のだと座り潰してる感触だから。80年代のベンツSクラスの座席もスプリングで、ものすごくへたってきてから、最後の味が出るようになっている。だがクラシック家具はデザインが厳しい。シンプルなものに真っ白い無地の張り地ならなんとかモダンインテリアにも合わないことはないのだが。クラシックソファの構造をそのままでデザインだけモダンにすれば売れると思うのだ。フィリップスタルクあたりが何とかしてくれないだろうか。現在、おそらく品質とデザインの完成度で最高レベルのB&Bも、クッションは基本的に化学素材のモールドと羽毛だ。ばねのすわり心地は古臭いし座面が厚くなるからあえて作る動機がないのだろう。
家人が座ってOKが出たもので意外だったのはバルセロナチェア。てっきり家人には大きすぎると思ったが大丈夫。
大塚家具は高額品もあるが量販店。扱う高級メーカーと機種に停滞感漂う。置いてある名作家具のリプロダクションは必ずしもいいものばか
りではない。コルビュジェのLC2はあまり良質のリプロではなかった。これはカッシーナで買うべきだ。イームズラウンジチェアはハーマンミラーのものを仕
入れているそうだ。意外にかさばらないと分かった。ここで買って失敗しないのはヨーロッパ系ではなくアメリカ家具だろう。それならここで一式揃えるのもありだと思われる。
メーカー直営はカッシーナ(およびイクスシーやメミなど諸々)、B&B、ノール、アルフレックス、セレクトショップはhhスタイル、アクタス、ヤマギワあたりか。ハーマンミラーとフリッツハンセンにはメーカー直営はないのかな。
靴生活の外人のくつろぎをねらった、広大な座面の低めソファ全盛の輸入ソファ市場であるが、座面が低くて傾きのある北欧タイプのリバイバルを願ってやまな
い。体重が背中と腰に自然に分散し、尻が前にずれてこないソファが一番よい。低座面だと床に近く、スリッパばき、あるいは裸足の床生活を行う日本人の生理
とも合う。清家清の自邸写真を見ると、二つあるソファはいずれもそのタイプだ。だがそういうソファは、新品の品目としてほとんどない、と言って過言ではな
い。どれもこれも座面が高すぎるか平らすぎるのである。
カリモク60の値段と品質を10倍にしたら近いかも知れない。カリモク60のままだと、どっかり腰を下ろしたら底付きして腰を痛めてしまう。であれば本家
のノールソファ、なのだが、今度は微妙に大きすぎる。フリッツハンセンの、渋谷セルリアンタワーホテルロビーに置いてある機種、イクスシーのブーメランソ
ファ、イームズのスモールソファは近いがパブリックスペース向きの雰囲気になってしまう。
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